眞壁明吉良の一日

うどんを科学する

気付き

おはようございます。人に気付きを与えること、これほど難しいものはない。タバコの吸い殻を平気で捨てる人、こういった人はどういった状況でも捨て続ける。また無礼な人、これも、周りに沢山、礼儀正しい人がいるにもかかわらず、無礼なふるまいをし続ける。人に暴力をふるったり、傷つけたりする人、こういった人もそれが当たり前と思っている場合が多い。タバコは自らが黙々と拾い続ければ良いだろう。無礼な人間には、きっちりと言うべきだろう。暴力をふるい、人に迷惑をかける人間をみた時には制止すべきだろう。しかし、二番目、三番目のことは殆どなされない。自らがトラブル、怪我、最悪の場合は、自らの命の危険にさらされるために見て見ぬふりをする人間が殆どである。人に誘われ、飲みに行った。夜のバーで、酒に酔い、人に暴力をふるう人間にでくわした。皆、見て見ぬふり。私は中に入り、制止した。私は武勇伝を語るつもりはない。何故、そんな簡単なことができないのか。私はそれ以来、夜の街に飲みに行くのがいやになった。くだらないトラブルに巻き込まれたり、有限な時間を無駄に過ごす場合が殆どである。もちろん、スナック、バー、クラブはおもてなしもきっちりしていて素晴らしいマナーが確立されていて楽しい時間を過ごせる場所が多い。問題はやはり人の教育。何故、大人になっても、無礼で、人を傷つける行いを当たり前と思うのか?やはり、幼少期からの教育に帰着する。厳しいしつけを受けず、大人になってしまっている。子供の頃に悪いものは悪いと厳しく教えてこられなかった人間は、皆に無視され、最悪は、刑罰といったものに裁かれることになる。私はいつから日本に厳しさと優しさが無くなったかと考えてしまう。何故、真剣に叱れないのか?悪いことをしたら叱るのは当たり前、それを気付くまで待とうなどとしていたら、その人間は罪人になってしまうかもしれない。罪人を増やしても良いのか?良いはずはない。三つ子の魂、百まで。幼少期からの教育をしっかり行う社会を作っていこう。目の前で行われる暴力を見て見ぬふりをしない社会を作っていこう。争わないことと黙殺することは違うことであり、ここの区別を明確にすべき、現代日本の教育の一番、欠如した部分である。アメリカが武力で罪のない民間人を殺戮した際に、声をあげない国は本当に平和国家と言えるのでしょうか?私が書いたエピソード、課題は国際問題に対する日本人の姿勢にも大きく関係していく!
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  1. 2010/02/13(土) 04:14:26|
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