眞壁明吉良の一日

うどんを科学する

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

人間 織田信長

「鳴かぬなら殺してしまえほととぎす」、織田信長を表す後世、作り上げた言葉である。宣教師により織田信長の実像はその似顔絵、文章に残されている。「周りの人間が織田信長を神のように崇め、怖れ、すべてに絶対服従であった」。短気、冷徹、神仏を怖れず、従来の日本の慣習、伝統を打破する革新的人物と捉えられてきた。役割としては革新的な役割をし、家臣の明智光秀が慣習、伝統を継承する役割を担うとされているが、近年の研究、あるいは文献から見る織田信長は人物像が明らかになってきている。ここからは、文献、逸話より私の考察を述べたい。織田信長が桶狭間の戦いに臨む際に、戦勝祈願の為に熱田神宮を参拝、御神酒を飲む時に、酌をしたのが、豪族 加藤図書助順盛であった。加藤順盛の屋敷に6歳の家康が織田信長の父 信秀のために人質として暮らしたという因縁がある。加藤順盛に織田信長は「戦に勝とう!(加藤)」と言い、周りが和んだという。太田牛一 「信長公記」に書かれているという。織田信長は戦国武将の中でも身内、子供に対して優しかった。特に長男 織田信忠には愛情が深く、戦には常に共に参戦し、自らの背中を見せた。戦国武将の教えは、どんな状況でもとにかく家督を継ぐものは生き残ること、例え、親、子供が敵兵に殺されようとも私情に走り、家督を継ぐものが自らの命を失う行動を取らぬことが教え込まれた。本能寺の変、わずかの手勢で明智光秀の大軍に抗じる父 信長の状況を知り、信忠は助けに向かい絶命する。逃げる気があれば逃げられたというが、父 信長に対する深い愛情の為す行為であったと考える。父 信長がいかに長男 信忠を可愛がり、愛情をかけてきたかが分かる結末である。人間 織田信長を見る時、四百年の歳月を超えて、人間らしさ、生きる息遣いまでもが伝わってくる気がする。人生わずか五十年と舞を舞ったエピソードが伝わるが、五十歳の私にはわずか五十年で終えた彼の人生が光り輝き、今も魂が生き続けている気がしてならない。血で血を洗う戦国の世に、子を想い、大切にした天才 織田信長。織田信長、信忠は仲良く妙心寺、阿弥陀寺に眠っている。
スポンサーサイト
  1. 2015/09/12(土) 05:39:19|
  2. 雑感、考察
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<ゆとり教育の弊害 | ホーム | 中国ショックと世界経済:日本人よ、誇りを持て!>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://udon20100101.blog100.fc2.com/tb.php/529-335764a9
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。