眞壁明吉良の一日

うどんを科学する

今日も失敗 失敗から学ぶ成功学

情けなるほど打ちのめされたことは皆さん、あるでしょうか。今日もそういった1日になりました。私は何度かそういった経験がありますが、中1の時に始めた柔道がまさしくそうでした。少年野球で4番バッターとして横手市の大会で優勝する決勝打を放った私はそれらの積み重ねを捨て去り、中学校に入ると柔道部に入部した。柔道着の着方、受け身、技のかけ方も分からない私を故伊藤勝利君が親切に色々と教えてくれた。とはいうものの乱取りが始まると素人の悲しさか、足が揃い、足払いで転がされ、背負い投げでボロ雑巾のように投げ飛ばされた。投げ飛ばされても、投げ飛ばされても、何度も相手に向かっていった。毎日、自分よりはるかに身体の小さな相手に投げ飛ばされる、悔しくて、悔しくて、自宅の屋上に自転車のチューブを巻き付けながら、引き手を引く練習をした。月を見ながら、何百回、何千回も毎日、続けた。それでも相変わらず、毎日、小さい相手に投げ飛ばされた。情けない、小学校の栄光がすべて吹き飛んだ。しかし、日に日に、投げられる回数が1回ずつ減っていった。一月経ったその日、ボロ雑巾のように投げ飛ばされてきた相手を大外刈りで投げ飛ばした。相手は驚いた顔をし向かってきたが、今度は払い腰で投げ飛ばした。それからは決して、相手から投げ飛ばされることなく、3ヶ月経った横手市の大会で1学年上の方々と争い、準優勝を飾った。大失敗の連続、勝った時ではなく、負けた時のことをいつも思い出す。ボロ雑巾のように投げ飛ばされた毎日を思い出す。どうしたら投げられないか、柔道の本を読み、色々な身体のこなし方、技のかけ方を学んだ。本で学んだことを夜間の練習で復習し、中学校の練習で実践した。投げ飛ばされ、向かっていく中学生であった自分の姿が何故か浮かぶ。悔し涙を浮かべたこともない、負けて泣いたこともない、いつも前のみを見て研究、実践してきた。失敗、情けないと思える経験をしなければ、人間はほんものにはなれない。投げ飛ばされ続けた人間しか投げ飛ばされた人間の悔しさは分からない。失敗し続けた人間しか、失敗の辛さ、そして失敗を克服した喜びを感じることは出来ない。何回投げ飛ばされようが、何度でも向かっていく、どんな分野に身をおいても実践したい。ここ数日の屈辱、失敗も必ず、自分自身の糧となることを確信する。今日もこれから研究、分析し、欠点を克服していく。
スポンサーサイト
  1. 2015/08/19(水) 21:19:33|
  2. 出来事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<歴史におけるもしとは? | ホーム | 失敗も亦楽しからずや>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://udon20100101.blog100.fc2.com/tb.php/522-ff645a0b
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)