眞壁明吉良の一日

うどんを科学する

慶英、誕生日おめでとう

今日は、東武百貨店池袋の直営のうどん店 眞壁屋を見ている弟 裕、長男 慶英の誕生日である。誕生日おめでとう!今から17年前、私はオランダのデルフト工学大学化学工学科で客員研究員として研究をしていた。富士通から派遣される制度で容易く自己都合で帰国することは当然許されず、帰国する場合は事前の申請が必要であった。家内は5月に出産のため、帰国した。私は、生まれる日を確率統計に基づき計算し、一週間の一時帰国を申請した。成田空港に到着、家内の実家に着いた12日 夕方 産気づき、13日の朝に無事、産まれてくれた。名前は姓名判断を勉強しつくし、眞壁と言う姓にあう数少ない名前の組み合わせを計算で求め、慶英と名付けた。オランダへ帰国する前日、退院した慶英と布団を並べ、一緒に寝ることが出来た。頭を撫でてやると、にこっと笑ったことを覚えている。あれから十七年、あっという間である。中学校で勉強をさぼったため、高校では運動部に入らず、学校の授業、補習、特別講習、予備校の講習と一生懸命、勉強している。99%の高校生が携帯を持っている中、私は彼に携帯を持たしていない。携帯に費やす時間を人との出会い、スポーツ、読書、勉強にあててほしいという願いからである。私の高校時代、もちろん携帯などなかったが、流行はあった。アイドルの髪型を真似たり、女の子の話しをしたり、進学校のため、偏差値、模試の話題も多かった。私は坊主頭、硬派で、女の子の話しはまったくせず(興味がなかった)、偏差値教育を肩書き、地位を求める見せかけの学びと捉え、時間のすべてを身体を鍛錬すること、英語、数学の勉強(少しだった)にあてた。腕立て伏せ三百回、ヒンズースクワット三百回は日課で、十七歳の頃の握力は八十三kg、当時の名横綱 千代の富士の握力を超えていた。今でも肉体年齢 二十代と実年齢よりも二十年若いのはこの時の鍛錬のお陰である。慶英はどんな若者に育つだろう、生まれた時、私は想像も出来なかった。長身で細顔で、ヨーロッパで生を受けたので、お洒落で少し軟派で、想像とは逆の真っ直ぐに進む武者の様な若者に育った。武者人形そのまま、NHKの大河ドラマの武将をそのまま演じられる風貌である。人生は戦である。自分との闘い、弱い自分の甘え、流行と言う意味の無い無味乾燥な事象にいかに流されず自分独自の哲学を築き、歩みきるかの闘いである。人の目を気にせず、実力、結果で示す生き方を目指してほしい。頑張ってください!
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  1. 2011/08/13(土) 05:41:50|
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