眞壁明吉良の一日

うどんを科学する

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人間 織田信長

「鳴かぬなら殺してしまえほととぎす」、織田信長を表す後世、作り上げた言葉である。宣教師により織田信長の実像はその似顔絵、文章に残されている。「周りの人間が織田信長を神のように崇め、怖れ、すべてに絶対服従であった」。短気、冷徹、神仏を怖れず、従来の日本の慣習、伝統を打破する革新的人物と捉えられてきた。役割としては革新的な役割をし、家臣の明智光秀が慣習、伝統を継承する役割を担うとされているが、近年の研究、あるいは文献から見る織田信長は人物像が明らかになってきている。ここからは、文献、逸話より私の考察を述べたい。織田信長が桶狭間の戦いに臨む際に、戦勝祈願の為に熱田神宮を参拝、御神酒を飲む時に、酌をしたのが、豪族 加藤図書助順盛であった。加藤順盛の屋敷に6歳の家康が織田信長の父 信秀のために人質として暮らしたという因縁がある。加藤順盛に織田信長は「戦に勝とう!(加藤)」と言い、周りが和んだという。太田牛一 「信長公記」に書かれているという。織田信長は戦国武将の中でも身内、子供に対して優しかった。特に長男 織田信忠には愛情が深く、戦には常に共に参戦し、自らの背中を見せた。戦国武将の教えは、どんな状況でもとにかく家督を継ぐものは生き残ること、例え、親、子供が敵兵に殺されようとも私情に走り、家督を継ぐものが自らの命を失う行動を取らぬことが教え込まれた。本能寺の変、わずかの手勢で明智光秀の大軍に抗じる父 信長の状況を知り、信忠は助けに向かい絶命する。逃げる気があれば逃げられたというが、父 信長に対する深い愛情の為す行為であったと考える。父 信長がいかに長男 信忠を可愛がり、愛情をかけてきたかが分かる結末である。人間 織田信長を見る時、四百年の歳月を超えて、人間らしさ、生きる息遣いまでもが伝わってくる気がする。人生わずか五十年と舞を舞ったエピソードが伝わるが、五十歳の私にはわずか五十年で終えた彼の人生が光り輝き、今も魂が生き続けている気がしてならない。血で血を洗う戦国の世に、子を想い、大切にした天才 織田信長。織田信長、信忠は仲良く妙心寺、阿弥陀寺に眠っている。
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  1. 2015/09/12(土) 05:39:19|
  2. 雑感、考察
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中国ショックと世界経済:日本人よ、誇りを持て!

中国のバブルがはじけ、その余波が世界経済に影響を与えそうだ。中国では、GDPの28倍の資金が市場に融資され、二十数年前の日本経済と同様の状況にあるようだ。日本が世界にあまり影響を及ぼさなかったのとは違い、世界の工場たる中国の世界経済に及ぼす影響は大きいと予測する経済学者は多い。2000年まで、日本の製品は輸出する際、該非判定という軍事技術に転用されるかどうかのチェックを厳しくすることを当時の通産省より義務付けられていた。ところが、それ以降、日本の会社がこぞって中国へ生産拠点を移転、短期的な利益を目論む国益を損なう活動がなされた。市場を国内に求めるのではなく、中国に求めたことにより、政治までも一色単にした中国の要求を受けることになった。「靖国神社参拝を中止せよ!」。靖国神社参拝という日本人の自由さえも内政干渉される結果となり、技術までもが中国に流出した。日本人が世界で生きるためには、目先の利益を追って、中国に迎合することではなく、国内に軸を置き、利益度外視した正義を基に行動することである。経済を追い、経済人が政治に口を出し、政治家は損得を考えた商人のような人間が多くなり、過去の歴史、伝統、誇りをたやすく捨て去る日本人が多くなった。歴史をもっと深く学んでいこう。歴史を学ばない姿勢からは活力も、知恵も、創造性も生まれない!結果、経済までもが下降の道を歩む。その意味すら分からない日本人が増大していることに情けなさを感じる今日この頃である。日本人よ、誇りを持て!
  1. 2015/09/07(月) 22:28:20|
  2. 雑感、考察
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むのさんとの一時

むのたけじさん、同じ横手出身の101歳のジャーナリスト。私がお母さん達の声を聞き起こした市民運動を支えてくれた。眞壁君は正しい!そう、環境、健康、子供達、横手市民の未来を考える上で正しいことをした。むのさんは私の考え、行動を理解し、共感してくださった。「むのたけじ1日1言」より、9月1日の言葉は、「無数のわたしとみんなで構成されているみんなは、歴史の主体だ。みんなのため、と口で繰り返しながら個々人の立場を無視または軽視する態度を許してはならぬ。」。そう言われるとその当時の市長がまったくそういったことを連呼していた。私は、その時に最大限自分自身が心に嘘をつかずに生きる自分自身のため、自分が信じる真実のために行動する。みんなのためなどという胡散臭い人間は駄目だ。私が言う意味の自分の為とは違った意味で、自分の利のためと言うべきである。人の為と書いて、偽りと読む、偽りの人生とは自分自身の人生を生きない人のことかもしれない。皆さんが自分自身の幸せ、周りの方々の幸せのために生きる時、みんなのためと連呼する人間の嘘がよりはっきりと浮き上がるだろう。そういった世の中を作らねばならない。
  1. 2015/09/01(火) 18:47:47|
  2. 出来事
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