眞壁明吉良の一日

うどんを科学する

運命と宿命

宿命は変えられぬもの、運命は変えられるもの、そのように教わった。私は家業に戻り、顧問税理士さんにはそれも自分で選んだこと、つまり運命と言われた。しかし、私は、私が男で、眞壁の家に生まれたように宿命と受けとめている。確かに家業に戻らない選択も可能だった。しかし、それが今の日本の現状、すぐに結果をだそうとするあまり、家、故郷を出て、これまで継承した歴史を次の世代にバトンタッチ出来ない現状を生んでいると感じている。出来上がった組織で、天賦の才を発揮出来ることは幸せで素晴らしいことである。しかし、そういったことを捨て去り、家、先祖を考え、歴史を継承し、バトンタッチする生き方も大切である。道徳が必修科目に組み込まれた。例として、子供がお使い、お手伝いをしてお小遣いを請求したのに対して、お母さんの請求書はゼロだった。無償の愛を教えようとしている。美しく素晴らしい話しだ。しかし、私はこれだけでは足りないと感じている。正しい知識、判断、勇気、正義、行動についてである。戦前、日本が他国と戦をすることは、植民地支配をする欧米列強国からアジア、日本を守る正義の戦い、善とされた。その当時、戦争に反対した方々は非国民として罰則や迫害を受けた。敗戦国となり軍事裁判で戦犯達が処罰され、戦後は、日本は侵略戦争をし、その行為は悪とされた。時代と共に変わる善悪の判断基準を学ぶことなど意味がない。人の命、健康、生活を阻害するものはいかなる理由があれ悪であり、守るものは善である。このことさえ分かっていて、それに基づき行動する人間を育てることが道徳だと考える。日本人は行動しない国民であった。特に戦国時代、江戸時代は、権力者、強いものに立ち向かうものは皆無に近かった。命や生活基盤を失うことを怖れ、行動しなかった。あるいはわずかに行動するものの命が奪われた。すべては善悪の判断をし、行動出来る人間が少なかったことに起因する。今試みようとしているところは、判断基準の部分、経済を問題にしてしまうと、子供へ報酬を求める親も沢山いると思う。児童手当て等を自分の生活費にあてたり、成人してから、それまでの教育費にみあう見返りを求めたり。これまで日本人が教わった損得の考えは経済の基本であり、無償の愛と経済とは整合しない。無償の愛を降り注ぐ方々はマッチ売りの少女やフランダースの犬の主人公のような人生を送りかねない。それが自分の運命としながら。小賢しく、ずる賢く立ち回ったものはパンを取得し、決して飢えることはなかった。これがこれまでの現実であった。人間が本質を見極めない限り、こういったことがどこまでも続いていく。変えられる運命までも宿命のように諦める人間が多数出る社会になってしまう。お母さんが無償の愛を降り注いでくれた、感動で終わるのではなく、お母さんに恩返しをし、自分自身が幸せに生き、お母さんが幸せに生きていくように動くことが大切である。さらにどうしたら、社会にそのゆうな親子が沢山できていくのかを考え、行動することが大切である。それが運命を変えることで、道徳の上記の例のみでは不足している。親子共々に、働き、働きにより得られる報酬を享受することがキイでしょう。行動して参りましょう。
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  1. 2014/10/25(土) 03:11:27|
  2. 雑感、考察
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人との出逢い

毎日、色々な方々と出逢わせて頂いて、手紙、葉書、メールを交換させて頂いている。お会いさせて頂くのは一期一会かもしれない、あるいはまた再びお会い出来るかもしれない。歴史とはこんなものか、一瞬、袖振り合うこと、語ったことは風の前の微塵のように消え去り、何も残らない。ただ、出逢い、別れていくのみ。 書き物でしか歴史は残らない、こういったことを考える時、書き物に記す重要性を痛感する。これから出来事を残すことにしよう。それが後世に伝わる歴史だから。
  1. 2014/10/12(日) 20:03:15|
  2. 出来事
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