眞壁明吉良の一日

うどんを科学する

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いじめという問題

一人の人間をいじめる、私達の世代(1965年)にもあるにはあったが、必ず誰かが、そういったものを制止し、長期化しなかった。私達より15 年ほど若い方々が中学生の頃、いじめは陰湿でひどいものだったらしい。私はその頃、神奈川で研究職にあり、そういった実態はまったく知らないでいたが、お盆の頃に帰省し、現役で中学校の教諭をされていた中学校の担任の先生とお会いすると、『眞壁君の頃の学生は思いやりがあって良かった』と言われた記憶がある。その時はその言葉を深く受け止めていなかったが、意味が段々、理解出来るようになった。私は喧嘩をしたことが無い。中学生で既に握力78kg、柔道をしていた私は、喧嘩するということは相手の命をも奪いかねないと決して、喧嘩をしない誓いを立て、守っていた。たまたま目にしたもめ事には、はっきりと制止すべく発言し、制止してきた。今考えると、いじめの抑止力として働いていたと思う。そうすることが当たり前と考え、これまで行動してきている。いじめを見て見ぬふりをする行動は、大人から学ぶものだと思う。正しくないことに目をつむり、妥協して行動する大人の姿が子供達に反映されているのがいじめである!勇気、気概を持ち、正しい行動を起こそう。このままでは、この国、教育はまったくダメである。自分より力が強く、身体の大きい外国人には、まったくモノ申せず、行動も出来ない日本人ばかりが育ってしまう。私は、外国人にも臆することなく、発言、行動する。正しいことは、誰に対しても、堂々と主張出来るからだ。いじめに悩む子供達、保護者は私に連絡ください。勇気を持ち、正しい行動で、問題を解決しましょう。科学者として真実を求めるためには、命がけの勇気、行動が必要なことを教えてくださった世界的な学者である恩師達に心から感謝している!
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  1. 2012/08/17(金) 06:36:24|
  2. 雑感、考察
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長い歴史の中から考えること

人間は古代からその本質は変わってきたであろうか。食料を奪いあうために戦い、富を奪いあうために戦い、時代が変わっても形を変えて、その実は、富の奪いあいの歴史であった。富は金、資源、エネルギー等に置き換えられ、それに関わる利権もまた争奪する対象となり争いが絶えることがない。富を共有するならば、争いが起きないといった考えが単純に発想されるが、人間には欲というものがあり、均等に譲りあうということが出来ないまま、現代になった。原発の問題では、福島で作ったエネルギーを東京等の大都市で使用する、従って、大気、土壌汚染は分かちあうべきといった考えが堂々と述べられている。しかし、現代人には子供達、子孫に、健康な身体と、健康に生きていける環境、土壌を残す責任がある。借金を残すのは可哀想だと真に思うのならば、病気や汚染された環境を残すのは、もっと可哀想であるということを原点に立ち帰って考えて頂きたい。
放射性物質といった人類科学史上、類を見ない危険な化学物質の現状を正しく捉え、体内に摂取しない努力を継続しましょう。人工的な放射性物質はラドン等に比べ、単位重量当たりの放射線量が1000倍ほど強く、体内に留まりやすい。どうしたら取り込まないで済むのか、科学者としての知見を最大限に使い、提言していく。争い、戦いが利権、富を手にするものの戦略的なシナリオに従うものでないことを私達は確認しなければならない。それを怠ってきたことが長い歴史の中で人類が繰り返してきた過ちであることを私は感じている。
  1. 2012/08/15(水) 09:00:08|
  2. 雑感、考察
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地井武男さんのお別れ会

2012年 8月6日(月曜日)、6月29日にお亡くなりになられた地井武男さんのお別れ会が青山葬儀所で行われた。徳の高い方をお送りする時、竜神が動き、雨が降り、雷が鳴るという。地井さんのお別れ会が始まると激しい雨が降り、雷雲が現れた。人を大切にされる地井さんらしく、通り一辺倒の付き合いではなく、心からの触れ合いを持たれた方々、約800名が集まられた。祭壇は地井さんが好きだった黄色、ひまわりの花が飾られた。『北の国から』、『故郷』、『ちい散歩のテーマ曲』がヴァイオリンの生演奏で流れた。渡辺徹さんが、『地井さんを皆が好きだったということを知っていますか』と弔辞で述べられた。青木功さんは親友の深さを語られ、研ナオコさん、萬田久子さんは号泣された。岩城こういちさんは、『芸能界に数少ない友人であり、兄貴だった。本当に面倒を見て頂いた』と話された。水谷豊さんは、地井さんが入院前、水谷さんを抱きしめられ、『豊、お前のことが好きだった。ありがとう』と耳元で言われ、目に涙をためられた地井さんの顔を一生、忘れられないこと、『(地井さんの人生は)見事な人生でした』と敬服の意を示された。田中邦衛さんは、『地井にい、会いたいよ』と振り絞る声で想いを語られた。私は、地井さんの今にも話されそうな写真に向かい、黄色のバラを献花しながら、『地井さん、本当にありがとうございます。私は地井さんにお会い出来、お付き合いさせて頂き、幸せでした。』と語りかけました。姿は見えなくても、地井さんは一人一人に、目に涙をためながら、『ありがとう。さようなら』と語りかけられたことだと思う。無双の優しさ、一つ一つ地道に積み重ねるホンモノ、人の悲しみ、喜び、苦しみも包みこんでしまう人格者、名優の逝去に全員が涙し、ぽっかりと空いた心の穴を感じている。水谷豊さんと食事をされた時はいつも地井さんがご馳走されたという。水谷豊さんがお金をだそうとすると、『豊が私におごるというのは、十年早い。というより一生、早い』と言われたように、また、国生さゆりさんが、お祭りに参加された時の地井さんの気遣いについてエピソードを紹介されたように、後輩想い、面倒見の良い、優しい方だった!私も何の恩返しも出来ないまま、地井さんは彼岸へ旅立たれてしまった。北の国からで号泣された地井さんのように私の目から涙が流れてしまう。せめて、私の想いが、お別れ会で伝わってくれればと祈っている。私は人間 地井武男さんを尊敬し、その大きな人格を惜しんでいます。見事な人生でした、地井さん、ありがとうございます。
  1. 2012/08/08(水) 22:12:49|
  2. 出来事
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