眞壁明吉良の一日

うどんを科学する

ほんものとの出会い

96歳のジャーナリスト むの たけじさんと共演させて頂いた!私が状況を説明し、コメントを述べて頂いたが、一言、一言に心が震えた。『日本国憲法は、国民主権で、国民の言うことを聞かない首長は代わってもらうしかない』、『国民の言うことを聞かない議員は代わってもらうしかない』、正義感に溢れたむのさんの言葉は、今はもう少なくなった潔さ、正直に一途にひとすじの道を歩く人間の清々しさがある。『母親と野菜を売りにきたわらしっこ(子供の意)が斉藤萬蔵(横手の資産家)のところに来た。そのわらしっこは東大に進み、官僚になり、農林省政務次官になった。皆が減反政策を押す時に、官僚ではただ一人、減反政策に反対し、政治家になった。その笹山さんの出た栄村の人達がそんなにだらしなくてどうする!』、喝が飛んだ。皆が感動した。女性はすべて、涙ぐんだ。帰りの車の中で、むのさんは言った。『いい会だった。皆の気持ちが一つになった』。
ご自宅まで、長男 慶英と送り、別れ際に握手をした。最後に立って見送りして頂いた。ジーンとした。ほんものには人を激励する力がある、そのことを感じた一日であった。むのさん、本当にありがとうございました。
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  1. 2011/10/23(日) 19:49:03|
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体調不良

一昨日、長女より風邪をもらい、体調をくずしている。昨晩は、呼吸できなくなるほどの偏頭痛を経験した。本当に苦しかったが、目を閉じていたら、いつの間にか眠っていた。先程、目が覚めたので、イソジンでうがいをし、葛根湯を服用した。朝まで回復し、今日は頑張らねばならない。今までも何度となく、出張、学会発表、柔道の試合の前日に38度以上の熱をあげながらも、うがい、生薬を服用し、参加することが出来た。ピンチをチャンスに変え、ホームランを放ってきた!今日も朝までの4時間で完全復調を果たす。気力こそ、病魔を吹き払うもっとも大切な要素だ。
風邪をひきやすい体質は祖父から受け継いだのだと思う。普段から体温が35度代と低い方で、そのせいか、熱いもの、暑いところが苦手である。熱いお茶よりは冷たいコーラ、リンゴよりはオレンジ、紅茶よりはコーヒー、豆類よりは肉と言った体を冷やすものを好んでいる。今日は96歳のジャーナリスト むの たけじさんにお話し頂くことになっており、私は先生の半分、あと先生の歳まで半分、生き、この世がどうなっていくか見届けたいものだ。先日、富士通時代の二歳下の後輩から、『二年半前に、医師になりました』と言う嬉しい知らせを頂いた。富士通に数年在籍した後、イギリスの大学でMBAを取得されたりと、本当に頑張っている後輩である。三十代後半からの医学部入学は本当に大変だったろう。昔、一緒に走ったり、英語を勉強したことを思い出した。私も精一杯、頑張ります。
  1. 2011/10/23(日) 02:24:41|
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迷走する日本

円高が止まらない。放射性物質の拡散、経済の停滞、いったいこの国は何を目標に進んでいるのか。こういった中でも、自分の会社だけは利益を出し続けると一貫して進める人間は、本当の商売人なのだろう。私は、まったく異質の人間で、国、県、市、町が良い、つまりそこに住む人々が安全で良い生活を送れなければ喜びがわいてこない。余分なものを捨てきることが出来ず、体裁ばかり気にする日本、日本人。
余分なものを捨て去れないことが安全な町、市、県、日本を作ることの足かせになっていることを早く気付かねばならない。人類が抑えきれない核の暴走を日本人が受けていることを日本人全員が真剣に受け止めなければならない。
本質を捉える教育が必須である。
  1. 2011/10/20(木) 13:32:38|
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Swedenからのfacebookを通じての問い合わせ

SwedenのUppsala UniversityのAomさんと言う方からfacebook を通じてメールが来た。彼女の亡きお父さんは、日本人で、父の母国 日本を訪ねてみたいとのこと、日本の中にインドネシアはあるか?と言った内容もあり、日本人としては苦笑してしまうが、ヨーロッパの国では日本のことは驚くほど知られていない。私は18年前、オランダのデルフトと言う街に住んでいたが、殆どのアジア人は、インドネシア人、中国人で、インドネシア料理、中国料理のレストランを営んでいた。オランダはインドネシアを植民地としていたため、インドネシア人の数が多かった。日本人はごくわずかで、たいていの日本人は、中国人に間違えられていた。私は、大学の研究室を去る時のお別れパーティーで、オランダの女子学生に、『Akiraはヨーロッパの人だとずっと思っていた』と言われた。ドイツ人かロシア人と思われていたのだろうか?確かに、真っ赤なチェックのジャケット、ピンクのシャツが大好きで、ファッション、そしてマナーもヨーロッパの人々と違和感がなかった。今日、32歳の日本人の男性と会話したが、あまりのおとなしさ、世代間ギャップに驚いた!外国の方々に驚かず、日本人の変化に驚いてしまう、私はどこの人間かと言ったことを考えさせられてしまう。話しは余談にそれたが、facebookにより世界は益々、垣根がなくなった。それと反するように、日本人の二極化が起こっていることを感じる。国際的な日本人と内向きな日本人。内向きな日本人とは、日本の伝統、歴史を踏襲すると言う訳ではなく、日本の変化の流れに流されて生きていく人々。私は国際的に生きていきたいのだが、家、家業を背負い、内向きな日本人の一人に属しているが、戦国、明治の人々とあまり変わらない考え、生き方をしているため、どうしても今の日本は窮屈で、まどろっこしい。日本にインドネシアはあるのか?の質問には苦笑する訳だが、内向きな日本社会には、国際的でも、従来の日本でもない、とらえられない不思議な感覚を感じることがある。人々がすべてに無関心、個々人がバラバラ、同じ日本人なのに感性が違う、大切なことを理解できず止まったままの国家。劇的に変質している日本人、止まったままの国家、情報としては垣根のなくなった世界、まもなく国家が大きく変わることを感じる。変化の中、国家理念、個人の哲学が重要な時代である。
  1. 2011/10/16(日) 03:03:24|
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技術者の倫理学

タイトルは、恩師が晩年、研究者として、仕事の集大成として完成させた学問である。恩師は、愛する奥様のために、一年、退官を早め、奥様を介護し、家族にすべての時間を費やす道を選択された。技術者の倫理学と言う学問は、直接、恩師から講義を受けた訳ではないが、私の中に、流れている恩師の教えそのものであると私は確信している。エネルギー、資源、物質の消費を最小限に抑え、廃棄物を循環させ、エントロピーの増大を抑えていく技術、『人を傷つけたり、人の命を奪ったりせず、ふれるだけで励まし続けるほんもの』を目指す生き方を実践すること、それらに照らしあわせ、研究を進め、情報、エネルギー、健康すべてにおいて、問題を解決し、信頼を得られる方向に進むことが、技術者の倫理ととらえている。恩師の言葉は、私の心で響き続けている。ヨーロッパの今は亡き恩師は、『私の好きな日本、富士山を救う技術を開発し、技術提案するように』と言われているような気がする。日本の工業が不利にならないようにISOの規格を日本の工業が発展するように作ってくださり、世界各国から学生を受け入れ、学問を習得させ、各国の発展に貢献された恩師の笑顔、姿が浮かんでくる。世界的に通用しないものは、ほんものではない。まやかし、詭弁はやめよう、そういったものは国内のみでしか通用しない、利権、政治的な偽りである。今置かれているものがほんものに近づくよう、取り組むことが技術者に求められている。技術者の倫理は技術者のみならず私達に生き方を示唆してくれる。
  1. 2011/10/14(金) 06:04:56|
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勉強会に参加して

勉強会では、すべての方々から学ぶことがある。しかし、話しを聞きながら、座っている場合ではない、限られた時間を日本で過ごしていて良いのか、広く世界で活動しなければといった想いにかられることが本音である。一生、勉強とは言うものの、これまでかなり勉強してきて、今は走りながら勉強しなくてはならないと感じる。座学で終わってはならないのである。
基本になる知識を基にしたきっちりとした本を基にした勉強会は有効である。プリントにすったレジメは後々、残らない。やはり、板書を書き写したノートもいつまでも残っていく。
新聞では、国の予算が捻出出来ず、復興が遅れていること、国会議員の視察が単なる見学になってしまっている状況が記述されている。
エネルギー、資源に乏しい日本は、貿易、高付加価値化された商品を研究、製造し、販売していくしか生き残る道はない。また元々、日本は農業の国であった。国がうまく回らなくなったら、原点に戻ろう。GDPが500兆円から8.5兆円と戻ってしまうかもしれない。しかし、そうなっても存続する青写真がこの国には必要である。経済規模が50分の1になったら、食うに困ることも起こる。昭和初期はそんな時代であったはずだが、先人達は生き抜いてきた。質素、倹約、忍耐を学ぶ時代である。少子高齢化の流れに歯止めをかける思い切った社会の変革が無いのだから、求めるべきものは自給自足、質素、倹約、忍耐を学ぶ教育。国はいつになったら、こういったことに気付くのだろう。このブログを読み、子育てをされている方、学び続けられている方は、上記を意識して学び、実践されれば宜しいと思う。
  1. 2011/10/08(土) 06:54:39|
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世界一安全な国の基準

日本の食、環境の放射性物質への基準がゆらいでいることが新聞に書かれていた。500ベクレル/kgと言う食品の基準は、驚くべき値で、原発から出た汚染水を清浄し流す基準が200ベクレル/kgと言うのだから、私達は、清浄した汚染水を使って、料理も大丈夫と言う驚くべき基準である。子供達は大丈夫か。達成出来ないから基準を上げる、成果をあげる上での目標値と人間の命、健康を守る基準値を混同していないか。本来、安全を保証する基準値は変えるべきではない。それが達成出来ない土地には住めないのだ。国民はこの点を明確にしてもらうことを望んでいる。うやむや、根拠なき基準値の変更こそ、国民の生命、健康を脅かすものと学者、官僚、政治家は考えて頂きたいものである。
  1. 2011/10/06(木) 13:13:35|
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誰のための行政なのか、人財育成

自治体の税収を増やし、雇用を創出すると言う目的で、旧態依然の建設が行政により行われている。土地、建物は残り、評価出来るという日本の金融、経済の考えが色濃く出るやり方だと感じる。ヒトの評価は皆無、仮に、野口英世と言う偉人が福島県猪苗代から輩出されたことは、彼の伝記、映画、記念館等により、果たしてどれだけの経済波及効果をもたらしただろう。偉人を輩出する、つまりヒト、人財を育成することがいかに大切なのか、大いに考えさせられる。ヒトを育てることには何十年も歳月がかかる。予算を確定し、公債を使って建設することは瞬時でカネの流れを生み出すことが出来る。しかし、その弊害は、税負担を高め、ヒトを流出させることにつながる。かつて農政に一生を捧げた地元の偉人 笹山茂太郎衆議院議員は、官僚であった戦争当時、東條内閣より、軍部のために、日本中の森林を伐採するように命を受けたそうだ。『切るのは一瞬、育てるのは何十年もかかる』と言う持論から命に従わず、左遷されたことがあったそうである。立派だ!、吉田松陰の言う『勉強は立派な人間になるために行う』と言う言葉を実践された方だと敬服する。
偉人が輩出された私の地域に、子供達、ヒトを育てることと
は正反対の問題が持ち上がっている。ヒトを育てること、人財を育成することこそ、社会の源泉であることを多くの方々にもう一度考えて頂きたい。そういったことを考える朝である。
  1. 2011/10/04(火) 06:37:53|
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首長、議員の役割とは

おらが町の先生は道路を通して、橋をかけ、ビルを建て、誘致企業をもってきた。これが高度経済成長期の首長、議員(国会、県会、市町村会)の仕事と評価され、田舎、いや日本ではそういった風潮が残っている。金があるなら、そりゃそれでいいだろう。皆、借金だよ、国は一人当たり538万円、県は55万円、市は50万円ほどの借金を背負っている。これ以上、何かすることは、これにさらに借金を背負わせられると言うこと、15年で返済するとしても、月間4万円から5万円、この金額に家族の構成人数を仮に3人とすれば、月間15万円返済する必要がある。家賃もあり、個人的な返済あり、教育費、生活費あり、国民は税として、月間15万円返済する余力はあるのか。先生方にはこういったことを考えてほしい。単純にはそういったことで、地方では、国からもらってきた(?)と言う事実と反した説明をする行政と首長、議員が同じ理解をし、説明している。あなた方は、返済額、月15万円以上を税金から得られる報酬として還付されるのだから、痛くもかゆくもないだろう。すべてはどこが財源なのか、考えてほしい。収入より支出の多い状況では、支出を多くする先生方は不要なのである。国民の民主党への期待はこういったことであったが、先生方の理解は国民の要望、願いとはかけ離れている。一身独立して、一国独立す、この精神が失われた時から、日本は何とだらしない国になったことか。我欲のみに走る人間が多くなり、借金、贅沢し続ける。子供達を犠牲にしても短期の儲けに走る人間達。先生方の考え方、動きに注視する時代がやってきた!
  1. 2011/10/01(土) 19:35:47|
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ペロが亡くなって一週間が経過して

愛犬のボーダーコリー ペロが亡くなってから、丁度、一週間が経った。彼女のお骨は庭に葬り、石を置き、毎日、水を供えている。冷たい雨がそぼふる中、思わず、家へ入って来なさいと墓に声をかけてしまうこともあります。小学校、中学校時代、毎日、ペロを妹のように可愛がってきた慶英はペロが亡くなって二日目、ソウルへ三泊四日の修学旅行に出かけ、昨日、楽しく有意義な旅行を終えて帰ってきた。ソウルの大学生との交流、デジカメで沢山の写真をとり、その中にペロの写真が残っていて、色々なことを思い出したそうである。慶英は、来年一年で高校を終え、大学では、共にペロが住めるマンションを探し、一緒に住もうと考えていたらしく、ペロを娘のように可愛がっていた家内は東京にいる年老いた両親を来年からは面倒見なければと考えていたらしく、日々接していたペロは愛する二人の事情をすべて察していたのではなかろうかとさえ思える。犬は飼い主を救うためには自らの命を捨て去って行動すると言うことを聞く。二人、家族の悩み、苦しみを肺癌と言う形で持ち去り、逝ってしまったのではと考えさせられる突然かつ慶英の修学旅行前の逝去であった。ソウルで慶英の乗るチャーターしたバスが接触事故を起こしたそうである。慶英が怪我なく過ごし、帰宅したこと、愛する二人とは数年後には離れる時間を長く持たねばならないことをすべて察していた気がする。ペロの母親であるなっちゃんも、ヒトが好きで、人の横について歩いたそうである。ペロも、ヒトと一緒にいることが何よりの喜びで、苦しい呼吸の中、最後まで嬉しそうに、私達と一緒にいることを喜んでいた。餌をあげ、食事が終わると必ず、『ありがとう』と顔をなめてくれたペロの姿を墓に行く度に思い出し、胸がつまる。17日間、盛岡の動物病院で四時間、点滴に付き添い、彼女にペースト状のレバー、ポカリスエット、ラム肉を与えた。苦しい中のそういった一瞬、一瞬に家内と私の想いが必ず、ペロに通じたと思う。慶英と私が彼女と最後を迎える何日間は一緒に寝たことも、本当に嬉しそうにしていた。犬、ペットを超える想い、私、家族はペロにそういった想いで、すべての愛情をかけて接してきた。飼い主の喜怒哀楽、感情を察し、接してくるペロの素晴らしさを感じ、二度とは会えない彼女といつかまた会えればと思っている。人間との別れと変わらない、いやそれ以上の思い出を思い出しながら、朝を迎えた。
  1. 2011/10/01(土) 02:09:01|
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